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運転免許再取得奮戦記(第7話)・・・・路上教習 [過去記事]

【2007年7月6日】

技能検定に合格すると5日間にわたり合計10時間以上の路上練習が義務づけられている。

例の「仮免許練習中」というプレートをつけての路上練習だが、単独走行はNG。

教習所の教官または、普通免許を取得して3年以上たった人を助手席に同乗させるということが条件だ。
 しかし、厳しい路上検定を一発でパスするためには、誰でもいいってもんじゃない。
試験官と同じ基準でチェックし、アドバイスできる人間を乗せなければ、ただ自己流で10時間練習しても、試験対策にはならない。
 
【絶対】とはいえないが、吾輩がきちんと安全運転をしたときに「それじゃダメ」とダメだしができるドライバーは、極めて稀だろう・・・おそらく1000人中999人は指摘できないと思う。
 なぜなら、それらのドライバー自身が路上検定では「不合格」の烙印を押される運転をしているからである。
自分で気がつかないことは、人には指摘できないものである。はっきりいって、これは大げさでも奢りでもなく断言できる事実だ。

例えばの話であるが、もしも免許取得後10年ごとに、試験場で技能試験と路上試験を実施。合格基準に満たない運転者は免許取消・・・と法改正でもあろうものなら、90%以上のドライバーが免許を剥奪されることになるだろう。・・・それほど試験はシビアである。



さて、今日は路上教習の1回目だ。
今までと違い、所沢に行くこともなく池袋周辺を走るので、時間に無理がないので多忙の身としては大変助かる。

午後5時10分に池袋のKM自動車教習所に到着。
とりあえず、4日分の教習チケット 31,080円(7,770円×4)を支払う。

今日の教官はK指導員。
すぐに運転席に座り、指示されるルートを走る。
巣鴨や本郷など何度も走り慣れた道だが、2年ぶりにこういう状況で走ると何だか妙に新鮮である。
免許取消といっても、基本的には流れにのった安全運転を心がけていたので、普通に運転すれば特に緊張するようなことは何もなく、かえって総合コースより気楽に走行できた。


左折時の距離感など、多少指摘される点もあったが、全体的には良好な運転という評価をいただき、久々に楽しいドライブであった。


【2007年7月7日】

路上教習2日目。昨日の路上が結構お気楽であった為、「今日も運転ができる」と余裕しゃくしゃく、ルンルン気分であった。
もしかしたら、技能検定に比べ、路上検定は楽勝なのでは・・・・とまで思っていた。

 しかし、数分後、そうした甘い考えは、すぐに破壊されることになるのであった。


本日の教官はYD指導員。昭和37年と私と同じ年の生まれだ。

Y指導員.jpg


駐車場から発進し、ひととおりサンシャイン周辺を回る。
昨日と同じように、普通に走り、安全確認もし、スムーズな運転をした・・・・つもりであった。
 というか、もしも一般の人が同乗していたら、まったく不安も抱かず極めて安全な運転と思われたことであろう。


・・・・しかし、YD指導員の評価はというと・・・
安全確認があいまい。動作もなんとなく加速して何となく減速して何となく曲がって・・・という感じ。これじゃダメ!」と辛口であった。


つまり、左折を例にとるなら、きちんとウインカーを出して(ウインカーは黄色の信号と同じ)、アクセルを戻しエンジンブレーキをきかせ、3点の安全確認。
その後加速しながら車線変更し、交差点30メートル前の線では左30?をあけて左寄せ。
30メートルラインになったら、しっかりと2段階で減速。
停止線前、一車長までには徐行状態にする。(こうしておけば、黄色になってもすぐに停止できる)
 停止線を過ぎたら、巻き込みや自転車のショートカット、
横断歩道の歩行者をきちんと直前まで確認し、路肩のスペースが空かないように左折
・・・・といった具合である。

 
また、対向車のある交差点右折の場合は、交差点の真ん中までは5秒間かけてゆっくり慎重に進行。
その間に歩行者や周りの状況を確実に確認する。
安全が確認できたら、だらだらと走らず、アクセルを踏み、すばやく交差点を抜ける
・・・・このメリハリがないと、対向車線の進路妨害になり【円滑な交通】を乱すことになる。


~YD教官語録~

受験者が落ちるのは、ただ形式的に左右を確認したり、ただゆっくり走れば安全・・・といったことをやっているから何度受けても落ちる。 学科と実技がシンクロしておらず、学科が単なる座学で終ってしまっている。


道路交通法には厳密な意味があり、特に交差点半径30メートル以内は、デジタル思考であり、状況に応じてとるべき最適ラインは線路のように決まってくる。そこには、アナログ的なあいまいな余地は全くない。

 こういう運転をしていれば、事故も防げるし、「運が悪かった」ということはなくなる

・・・・と熱弁するYD指導員。厳しいようだが、実に論理的で説得力があり、まさに目からウロコである。


そんなわけで、指導を素直に受け止め、後半はだいぶいい感じになってきたようだ。

昨日の奢った気分で、お気楽に本試験を受けていたら、不合格になっていたことだろう。


それにしても、道路交通法規とは実に合理的に考え抜かれたものである・・・・と改めて認識させられた。


【2007年7月9日】

路上教習の3回目。教官は1回目と同じK指導員。今日は前回までの復習と【自主経路】の練習だ。


自主経路というのは、地図上で指定されたスタートからゴールまで、右折と左折をいれて全部で約2キロくらいのコースをドライバー自身が自由に決めて走るものだ。ただし、コースを暗記したら地図は見ることはできない。
 あまり細すぎる道などは時間がかかるので選択できないようだ。

10年くらい前からこの種目が路上試験に加わったようだ。
10年前というとちょうどカーナビが普及しだしたころ。
カーナビ画面を注視し、事故につながることが多いのでこういう能力をチェックする必要性が出てきたのではなかろうかと思う(あくまでも個人的推測)


また、運転免許取得後、自分で走る場合には隣に教官というナビゲーターはいない。
当たり前だがどこに行くにも自分でルートを考えなければならない。

 もしも、すべてのドライバーが方向音痴で、しょっちゅう道を間違ってあわてて車線変更したり、急停止したりといったことをしたとしたら衝突事故続出で、交通はパニックになるだろう。
そういう意味でも、この新しい種目は意味があると思う。

しかし、どうやら女性ドライバーにはこれが難題らしい。
どちらかというと男性よりも女性のほうが、方向音痴の傾向が強いからだ。
 狩猟時代から農耕時代になったことによってもっぱら女性は外にでることがなくなった・・・・そういうDNAのなせるわざか?

 私の姉妹(上と下)もご多分に漏れず、その昔、姉妹だけでドライブにいった帰り「今、上野だから」という電話を受けた。しかし、いつになっても帰ってこないので事故にでもあったのかと思ったら、再び電話が入り「何か、新小岩とかいうところにでちゃったんだけど、ここどこ?」だと・・・・・
どうして上野から柏に帰るのに新小岩に出なきゃならんの?と理解できない。

「私は断じてそんなことない」と憤慨する女性もいるかと思うが、どうもうちの姉妹をはじめ、まわりの女友達にもそういう人が少なくないことは事実である。
 教官も「女性の方は、とんでもないとこにいっちゃうんですよ」と苦労を語っていた。

かくいう自分自身もカーナビのお世話になってから、道路を暗記するという作業を捨ててしまったため、そういう能力が退化していることは間違いない。そういう意味でも、この新種目はいいかもしれない。



路上教習では、自主ルートに沿い無事ゴールできた。
まあ、中学卒業の頃から自転車やらバイクやらで日本全国を走ってきた私としては、いくらカーナビ依存で衰えたとはいえ、この程度は問題ない。

2回目の指摘も気をつけ、だいぶメリハリが出てきたが、左折大回りを指摘された。
左寄せまではいいのだが、そのあとコーナーに入ってからのハンドルのきり足しがないので、結果として大回りになってしまっているとのこと。当然これは減点項目だ。

また、左に駐車車両(=障害物)がある場合の右ウインカーの出し忘れも目立ったようだ。
どうやら癖のようなので要注意である。


こうして無事、3日目の教習終了。




【2007年7月10日】

今日は朝から雨だったが、幸いにも教習の頃には雨はやんだ。
教官は2日目の熱血えんちゃん(YD指導員)。今日もびしびし指摘されそうだ。


2日目の注意点をだいぶ意識したつもりだったが、まだ交差点内での安全確認が完全ではないようだ。
「安全の5秒」である。

事故を起してから「人間なんだから完璧は無理でしょう」・・・・と遺族の前での弁解はとおらない。

そう考えると、『想定外』という言葉は運転においては存在してはいけない言葉なのである。


 とはいっても、うしろからノーブレーキでつっこまれたり、突然反対車線から車が突進してきたり(酔っぱらい)というケースは、避けようがない不可抗力であろう。これは運命とあきらめるしかない。

 しかし、自分の不注意で事故を起した場合には、自分に過失ゼロということはありえないのである。
・・・・・その当たりを、えんちゃんは熱く語ってくれた。・・・口うるさいけど、もっともなことであり私的には好きな教官である。


今日も、昨日につづき路肩駐車車両を避けるときの右ウインカーの出し忘れ、戻るときの左ウインカーの出し忘れを指摘された。
 実際の運転ではこういうことをきちんとしているドライバーは少ない・・・というよりほとんどいないだろう。

後日追加コメント・・・ちなみに、この右ウインカーをきちんとだしているドライバー・・・免許取り直してから一人も見てませんね。

路上試験では、ウインカーーを出さずに、左に駐車している車両を避けた場合には、いかにスムーズにクリアしたとしても『ふらつき』扱いになり減点だ。
 多くの落ちた受験者は、まさかそれが原因で落ちたとは知らず、何で落ちたか首をかしげることが多いそうだ。


意識としては、バイク(白バイ)が、ぴったり後ろにくっついているとイメージすることによって、この出し忘れはかなりクリアになる。
 バイクは、裸で乗っているだけに前車両の事前警告なしの動きをいやがる。
そういう私も学生の頃は何度かウインカーを出さないで左折する車に巻き込まれそうになったことがある。

 常に我が車の脇から追い越しを狙っているバイクがいると想定すれば、ウインカーを出すことは当然の行為となる。試験当日、またこれからの安全ドライブの為にもこの考え方は習慣にしていきたいものである。


また、路上駐車の車を避けるときは、ドアが開いて人がでてきてもいいだけの安全な側方間隔がなければ、これも減点である。・・・・というより、本当にそうなれば事故である。


交差点で反対車線の第2通行帯にいたイカレマジェ(ヤマハのマジェスティというスクーターにのったいかれた若者という意味)が、強引に前車を対向車線にはみ出して追い越した。

 まあ、こんなことはよくあることなので、本能的に必要なだけ左に回避した。当然、自車の左後方に車がいないことも瞬時に判断しての動作である。

 普通に見れば、「瞬間的に安全の為の機敏かつ的確な動作」で危険を回避した・・・となるのだろうが、安全運転上はこれは大減点。下手すれば検定中止にもなりかねない。

つまり、こういうときは、積極的な回避ではなく、ブレーキを踏まなくてはいけないのだ。

今のはよくないね~!!!初心者なら運転自体の能力をチェックするが、あなたのように25年も運転をしてきた人は、運転なんてできて当たり前。試験官はそんなところはまったく見ていない。試験官が見ているのは安全に対する意識と制御だけ。」とYD教官。


確かに、私が試験官(=警察官)ならば、理由はともかく運転免許の取消を受けて再取得しようとする輩をチェックするのであるから、過去の過ちを反省し、安全に対する意識が徹底的に改善され、かつそれが運転に現れていない限り、また同じ過ちを繰り返すことになるから、そんな奴には免許を取らせない・・・当然の道理である。

この考え方は、単に路上試験を受かる為のテクニックということではなく、今後の運転の課題として捉えていこうと思う。



『模擬試験』

そろそろ学科本試験も近いので、模擬試験の1~4を受ける。
結果は最低が94点、最高が99点。いずれも90点以上なのでだいぶ合格確実圏内になった。



・・・・・・奮闘記の続き(第8話)はこちら






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